11月法話「南無阿弥陀仏にこめられた願い」
中原寺 平野俊斉
私のおります中原寺では毎年11月20、21日の2日間にわたり、報恩講をお勤めしております。報恩講とは、私たちに真実のみ教えをお示しくださった親鸞聖人に感謝し、阿弥陀さまのお救いをあらためて心に深く味わわさせていただく、浄土真宗において一年でもっとも大切な法要です。
千葉県内のお寺でも10月頃より、それぞれのお寺で報恩講が勤まります。親鸞聖人のご命日は新暦では、1月16日とされていますが、旧暦の11月28日の前後に京都のご本山に先んじて各お寺でお勤めをして、年が明けてから、ご本山の御正忌報恩講(1月9~16日)にお参りすることを機縁としています。
親鸞聖人は、阿弥陀さまより私にかけられた願いを聞き、念仏申す人生を歩むようにお勧めくださいました。「南無阿弥陀仏」のお念仏は決して、私の願いを届けるものでも、自分に不都合なことが降りかかることがないように唱える呪文ではありません。
「20世紀最高の画家」ともいわれるパブロ・ピカソに次のようなエピソードが残っています。
ある時ピカソが町を歩いていると1人の女性から声をかけられました。その女性はピカソの大ファンで、自分のために絵を描いてほしいと頼んだそうです。すると、ピカソは女性の願いを快く引き受けて、30秒ほどできれいな絵を描き上げ、「この絵には100万ドルの価値があります」と言いながら、女性に渡しました。ピカソの絵に大変な価値があることを知っている女性も、まさか30秒で描いた絵にそれほどの価値があるとは思えずに驚いていると、ピカソは続けて「この絵は30秒で描いたのではありません。私が30年間、技術と感性を磨いたからこそ描けた、30年と30秒で描いた絵です」と言ったそうです。おそらくピカソは、自分が有名な画家だから100万ドルの価値があると言ったのではなく、あなたの目に見える事だけがすべてではなく、この絵に込められた背景や思いに心を寄せることで、この絵の見方が大きくかわっていくことを伝えたかったのではないでしょうか。
詳しく調べると、このエピソードの真偽は不明がそうですが、私はこの話を聞いた時にまさに私の口から出るお念仏に通じるものを感じました。
私がお念仏を称えるのにかかるのは、ほんのわずかな時間です。しかしそのお念仏には、悩み迷い苦しみの人生なかにある私を決して放っておくことはできない、あなたを必ずさとりの仏としてお浄土に迎える、あなたのいのち何処までも一緒に歩む、との阿弥陀さまの願いが込められています。私が思い計ることが出来ないほどの長い時間とご苦労の末に、その願いが願いのままに私のもとに届いてくださって、今ようやく私の口から「南無阿弥陀仏」のお念仏が出てくださっているのです。
親鸞聖人は生涯をとおして、阿弥陀さまのおこころをお伝えくださいました。報恩講をご縁として、阿弥陀さまのお心に触れ、私にかけられた願いをお聞かせいただきましょう。