法話

新年を迎えて ~終着駅は始発駅~

法光寺住職 隆 康浩

 💚1月の法話💚 

  2015年12月31日大晦日、時計の長針と短針と秒針が一つに重なり、午後12時を指した時、同時に年が明けて2016年1月1日午前0時を迎えました。

 一年とは、時の流れの目安として人間が仮に定めた区切りではありますが、一年が終わるということは、その瞬間新しい年が始まったということでもあります。

 先日、テレビを観ていたら、各地の電車の終着駅を紹介するという番組がやっており、何気なく眺めていると、その終着駅ひとつひとつに味わい深い歴史やドラマがあるもので、つい興味を惹かれて最後まで観てしまいました。幾つか紹介されていた終着駅ストーリーの中で、私が最も印象に残ったものは、「終着駅は始発駅」というお話でした。一組の夫婦が、日本最南端の終着駅である枕崎駅を目指して電車に乗っています。実はこの夫婦、10年前には日本最北端の終着駅である稚内駅を訪れていました。妻は10年前、40才で乳がんを発病。人生80年の半分を迎えてこれから何をしようと期待膨らむ矢先の大病に、「折り返しのはずが…もう人生終わりなの!?」と途方に暮れました。先が見えない絶望と不安の闘病生活の中、人生の最期を覚悟しながら夫に無理を言って連れて行ってもらったのが、新婚旅行で訪れた思い出の地、北海道。そして最北端の終着駅稚内駅でした。駅に着くまで「稚内は終着駅。そこで終わり、そこから先はない」と心は沈むばかり。行き止まりになった線路を見て「私はこうはなりたくない」と思ったそうです。

 しかし、その終着点からパッと振り返った時、あることに気づいたのです。終着点だった行き止まりは、振り返ればまたそこから線路が延びているのだということに。「あぁ、ここからまた電車が出るんだ。もう一度ここから乗っていけばいいんだ」。終着駅が始発駅だと気づいた時、頑張って生きていこうという活力がわいた、といいます。そして10年後、病院からはもう定期検査の必要はないと伝えられました。元気になった今、今度は日本の最南端の終着駅を訪れてみたい、と電車に乗りました。いつか行ってみたい、でもその機会はもう来ないかもしれない、と思っていた南の終着駅。夫婦で降り立った枕崎駅のホーム。そこにはやはり、その文字があったのです。看板に書かれた「最南端の“始発・終着駅”」の文字が…「ここからまた折り返しだね」。

 「終着駅は始発駅」。夫婦で訪れた、北と南、二つの終着駅。10年の時を隔てた旅は、それぞれに生きる力を与えてくれるものでした、というお話。

 私たちの人生も、よく旅に例えられます。そしてこの人生の旅は無常です。常に一定でありつづけることなど無い、変わり続けて止むことが無いからこそ、いつどこでどのように人生が変化していくのか、それは自分自身にもわかりません。

 けれども、たとえそうであってもこの私は、大きい大きい仏さまの世界に包まれて生きていました。「安心して良いのだぞ。お前そのままで良いのだぞ。いつでもどこでも誰であっても間違いなく引き取るぞ」と仰って下さる仏さまのよび声を聞かせていただくとき、「あぁ、私が思っていた人生の終わりは、決して終着駅ではなかったのだ」と気づかされます。それは、仏さまの大きな世界に摂め取られ仏として生まれさせていただく、始発駅でもあるのだと。

 一年の終わりと始まりを迎え、本年もそんな安心のよりどころをいただく中に歩んでまいりたいと味あわせていただくことでありました。